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Posted by ミリタリーブログ at

2012年03月31日

米海兵隊第3襲撃大隊

1941年に海兵隊でコマンドゥ任務に就く部隊を編成した
この部隊はレイダース(強襲部隊)と呼ばれ1942年に
第1大隊が編成され1943年までに第4大隊まで作られた。
レイダースはソロモン諸島、ニューギニア諸島と戦い
1944年にレイダースは活動停止し新たに第4海兵連隊となりました。

今回は1943年ころのブーゲンビル島で活躍した第3大隊のスタイルです。
1943年ころから海兵隊に迷彩被服が支給されるようになりました。
P1942迷彩作業服と呼ばれ、この迷彩作業服は裏表で使える
リバーシブル仕様になってました。

表は緑系と茶系の斑で、裏は茶系の斑模様になっています。
胸と腰部分に大型の貼り付け型のポッケが付いています。
しかし作戦区域との相性が悪く次第に使われなくなっていきました。
ヘルメットには同じ迷彩生地で作られたカバーが装着されその上から偽装用ネットが
付けられています。

装備は一般の海兵部隊よりも古くまだ小銃もボルトアクションだったり
イラストのようなレイジング短機関銃が第一線で使われていました。
このレイジングは非常に壊れやすくジャングル戦においてあまり信頼の
おける兵器ではありませんでした。
マガジンパウチはトンプソンの20連用マグパウチを
レイジング用として使われていました。

ピストルベルトについているM1912ファーストエイドパウチは
1942年まで製造されM1943ファーストエイドパウチと共にほぼ終戦まで使われ続けた。

腰にある大型のナイフはガン・ホーナイフと呼ばれレイダースの隊員たちに
愛用されていたボウイナイフで他にもダガータイプのコマンドナイフやKバーナイフもあった。

足元は海兵用アンクルブーツにレギンスの代わりにソックスにズボンのスソを
たくし込んでいる。あとキャンバス製の編み上げのジャングルブーツも支給されている
場合もある。



  

Posted by こみー at 19:48Comments(4)

2012年01月04日

あけましたっ

新年そうそうダルイ展開になりそうです。

とりあえずあいさつだけでも・・・・・

現用米軍ぽいもの描いてみました。  

Posted by こみー at 13:56Comments(2)

2011年11月11日

ベトナム派遣初期軍事顧問

MilitaryAssistanceAdvisoryGroup-VIETNAMの頭文字をとって
MAAG-VIETNAM(マーグベトナム)と呼ぶこの組織は、1955年インドシナ戦争終了後
アメリカ軍によって設立された組織で、南ベトナム軍に軍事顧問を送り南ベトナム軍を作り上げていった。
1964年5月MAAGベトナムはMACV(南ベトナム援助アメリカ軍司令部)に吸収された。

今回は1960年代前半MAAGの軍事顧問将校のイラストです。
1960年代に入っても物資不足で古い被服が再支給されることがある
本来ならばOG-107作業服なのだが、この大尉は第二次大戦に使用されていたM43HBT作業服を
半そでに仕立て直したものを着用している。このM43作業服は大戦中、陸軍が太平洋戦線および
ヨーロッパで使われていた作業服で13星が入った黒の金属製ボタンが特徴的である。
その旧型作業服に、従来の仕様として襟に兵科章に階級章胸には識別章と名札が付けられている。
陸軍識別章の上にはパラシュート降下資格章が付いている、これは5回降下訓練を受けると受領される。
右袖にはあとから追加されたペンポケットが見える。使われた生地の種類が違うため色味が少し違う。
左袖にはレンジャー隊員資格章がある、軍事顧問の多くはこの資格を持っている者が多くいた。
その下には、MAAGVIETNAMの部隊章が付いており、マークのモチーフはアメリカの国章にある13星で
作業服に用いられている金属ボタンにも同じ物が入っている。

両サイド腰の位置にある大きなポケットが特徴のM43作業パンツには
M1936ピストルベルトの後期型とコルト45ガバメントの予備マガジンポウチが付いている。
ガバメントは車両搭乗員やパイロットが使っていたM3ショルダーホルスターに入れて使っている。
このように使われている装備は、大戦中と朝鮮戦争から使われているものがまだ多く残っており
そのまま支給されることが多かったので大戦中などから使われていた、茶革のホルスターやポウチ類が混じっていた。

頭に被っているフィールドキャップは、1962年に導入されたベースボールキャップのあだ名で呼ばれている帽子に
布刺繍のパラシュート章と大尉の階級章が縫いつけられている。

足元はトロピカルコンバットブーツ通称オキナワブーツと呼ばれている2バックルブーツ
ベトナムへの補給物資集積基地だった沖縄から隊員たちが支給を受け沖縄から着た兵士たちが
履いていたからそんな名前になったらしいです。
このブーツは、ジャングルブーツが登場する1965年まで使い続けられました。
ただソールが、ベトナムの地形とあまりマッチしていなかった様でたいへん転びやすかったそうです・・・・






何やらSATマガジンさんの別冊じーくで来年からお仕事がもらえそうです。
詳しいことが解りましたらまた報告いたします。  

Posted by こみー at 04:33Comments(2)

2011年09月05日

インドシナ戦争のフランス空挺隊

1946年フランス植民地からの独立を目指すベトミンとの戦闘が開始され
1954年ディエン・ビェン・フー要塞陥落によるフランス軍降伏までの間フランス軍の
空挺部隊も緒戦から外人空挺部隊も含め奮闘していた。

今回はそのフランス軍外人空挺部隊の隊員の装備の紹介です。
戦争当初からアメリカとイギリスから軍需供与を受けていたので
装備や武器は自国の物と合わせて使用していました。

このスタイルは1950年頃から見られる格好で
上着がアメリカ軍が二次大戦中にヨーロッパ戦線と太平洋戦線で短期間使われた
コットン・へリンボン・ツイルのダックハンターパターンと呼ばれる迷彩ジャケット
でこれは米海兵隊のタイプと米陸軍のタイプ両方がフランス軍によって使用された。
このイラストでは陸軍のタイプを着ているそして左胸ポケットには曹長の階級章が付いている

ヘルメットは米軍のM1ヘルメットだが空挺用のライナーはフランス軍の
M1空挺ライナーになっている米軍の空挺ライナーもそのまま使われていた。
ヘルメットネットを固定するヘルメットバンドには米軍のM1942ファーストエイドキットが
はさまれているこの他英軍のバンデージをはさんだりしていた。

装備を吊るサスペンダーはフランス軍独自の物でMle50サスペンダー
このサスペンダーは米軍のM1936サスペンダーを参考にしたもので
作りが悪く壊れやすい。米軍のサスペンダーをそのまま使用している場合もある。
米軍のM1カービン用のマグパウチにM1942ファーストエイドパウチとM1910キャンティーン
ピストルベルトは米軍のものとフランス軍のMle50ピストルベルト両方が使われた。
手榴弾はフランス軍のMle37グレネードを付けている。

手にしているのは米軍からの供与品のM1A1パラカービンあと
フランス軍のMAT49サブマシンガンを持つ者もいる。

ズボンは英軍のP42ウインドプルーフパンツで刷毛で塗りたくったような
迷彩ブラッシュパターンが特徴的なカモフラージュパンツ。
本来はオーバーパンツとして用いられるのだがそのまま直に履いていた。
あとイラストのはローカルメイドタイプで両サイドの腿部分にカーゴポッケが
付けられているタイプです。

ブーツは米軍の茶革のジャンプブーツも使われましたが
イラストはフランス軍の1949型ジャンプブーツです。
2バックルタイプのブーツも使用されていました。

こんなごちゃ混ぜ装備から徐々にまとまった自国オンリーの装備になっていって
次のアルジェリア戦争にフランスは突入していくのです。

  

Posted by こみー at 01:13Comments(2)

2011年07月24日

84チャーリー・モピック

今回は映画の中の軍装と84チャーリーモピックというちょっと古い映画のお話です
1989年に製作された低予算映画です
映画の舞台は1969年ベトナムそこの米陸軍173空挺旅団の
長距離偵察隊に陸軍の記録映画班がやってくる目的はジャングル戦の
教育実習映画を撮影するためにベテラン偵察チームに同行するカメラマン
コードネームモピックとそれを監督する新米少尉しかしベテラン隊員からは
煙たがられ苦労する2人だが次第にチームの空気を読みチームにとけ込もうとするが
物語はカメラのフレームを通して進んでいくまるで自分も一緒にジャングルに居る様な
気になるそして装備も当時としては最高の再現率だと思うこれは本作品を見ていただきたいが
VHSしかないのでどっかでDVDにしてもらいたい作品です

その映画に登場する偵察隊の通信手イージーの装備の紹介です
一部映画上で確認しきれていない部分もありますが堪忍して下さい

LRRPといえばタイガーストライプ劇中で隊員たちは
タイガーストライププロダツクというタイガーストライプのリプロを
作っている会社のベトナム戦タイプのものを着用していました
なかなかの出来でべつのナムものでグッドラックサイゴン2でも
使われていました服の形は一般的なスタイルのタイプで左腕の部分に
シガレットポケットが付いているのが特徴です
そして173空挺旅団のパッチサブドゥードタイプです
ベースボールキャップを反対にかぶっていてこれが劇中でのトレードマークに
なっていますが作戦行動中はヘルメットを被っています理由は通信手は一番目立つので
攻撃を受けやすいだから被っているそうです劇中では2回狙撃されてパープルハートを
受勲されているようです

装備は基本的なM56装備ですあと通信手なので信号用のスモークグレードを
アンモパウチに装着しています背中にはライトウエイトリュックのフレーム上部に
PRC-25無線機を携行し予備のアンテナバッグを無線機本体の横に付けている
リュックにはM2ヘルメットが掛かっているヘルメットカバーには当時のスラングと
ピースマークが落書きされている年代的に兵士たちの格好がチャラチャラしてきている
時期なのでこういった落書きや首にまかれたアクセサリーなどが目立つのです

ハンドマイクは防水のためにバッテリーが入っていたビニール袋に
入れて使っていた
武器は定番のXM177E1このころになるとほとんどの偵察部隊に支給されていた




  

Posted by こみー at 17:54Comments(4)

2011年07月09日

南ベトナム空挺師団隊員

今回は南ベトナム空挺隊の紹介です
南ベトナム空挺隊は宗主国であったフランスの空挺隊の影響を
強く受け1955年に南ベトナム空挺群が設立され1959年に空挺旅団となり
1965年には空挺師団になって1975年の終戦まで戦い続けた

イラストは1965年ごろの空挺隊員を描いた物です
ベレー帽は空挺隊員を現す赤色で右側にはパラシュート部隊の証である
モール刺繍で作られたベレー章が赤の台布に付いているベレーの被り方は
フランス軍空挺隊のスタイルを引き継いでいる

作業服は迷彩の物を使いこの迷彩はイギリス軍が使用していたブラッシュパターンと
呼ばれる迷彩でハケで塗られたようなパターンが特徴でこの迷彩服が前のインドシナ戦争の
時にフランス軍がイギリスより支援を受けこの迷彩服を使っていたそのパターンをコピーして
南ベトナム空挺隊でもリザードパターンと共に迷彩服として使われてきた
服の裁断は以前に紹介したレンジャー隊員の物とほぼ同じですがボタンは
降下の際邪魔にならないようにポケットフラップの下に付いている

左胸に付いているのは空挺隊員を現すジャンプステータスパッチと呼ばれる
デザインはフランス空挺隊のマークをそのまま踏襲した物である
右胸にはパラシュート章これもフランス空挺隊の影響が見えるデザインで
つける位置もフランス軍と同じ位置になっている
左腕には師団パッチが付き米軍と違って少し下のほうにパッチが付く
その下には上等兵の階級章が付くパッチ類はシルク織りのべボ刺繍とプリントタッチの
物が使われた首にはスカーフが巻かれている部隊カラーを現している場合がある

パンツは一般的な作業服タイプでバリエーションで両サイドのモモ部分にカーゴポッケが
付いてあるタイプもあるブーツはブラックレザーのコンバットブーツ

1965年以降は迷彩服も米軍のリーフパターンを模した物になって行き次第に
米軍ナイズされていった


  

Posted by こみー at 04:30Comments(4)

2011年06月21日

MACV軍事顧問

1962年2月8日にMACV南ベトナム援助アメリカ軍司令部が創設された
そこにいるアメリカ兵は南ベトナム軍の軍事顧問となって彼らに的確な
戦闘訓練をし時には共に戦場にでて戦った

しかし南ベトナム軍は軍事顧問の求める成果には程遠く
きびしく困難な道のりの始まりだった

今回のイラストは1964年ころのMACV軍事顧問の将校です
OG107という陸軍の作業服の初期型を着用している
この初期型はポケツトフラップが直線で筒袖になっている
ボタンも平ボタンで極初期は茶色いボタンだった
左腕にはMACVの部隊パッチその上にはレンジャー資格章が
付いている軍事顧問達はほぼレンジャー資格を持っており
空挺降下章も持っている隊員もいた
このころはネームパッチ類はすべてフルカラーで
隊員たちもそれを使っていたあと胸の第2ボタンと第3ボタンの間に
あるのは南ベトナム軍の中尉の階級章である各隊員たちはこのように
南ベトナム軍の階級章を付けていた

装備は古い装備で主に二次大戦と朝鮮戦争のころの装備が
混じった感じだった使っているサスペンダーはM1945サスペンダー
にM1943ピストルベルトにM3グリースガンやトンプソン用の
弾薬バッグこれも朝鮮戦争に使用された物を付けている

手にしているサブマシンガンはスウェーディッシュKで
CIAが持ち込んだ外国製の銃でその他M1カービンやグリースガン
などアメリカ軍の古い銃が使われた

帽子はローカルメイドのものがよく使われたこのカウボーイハットも
よく使われたアイテムである部隊によっては南ベ軍のベレー帽をかぶる場合もある
足元はトロピカルコンバットブーツとよばれる二次大戦中から使われている2バックルブーツの
熱帯仕様型で緑の部分は布製になっているこれはジャングルブーツが登場するまで使われた

  

Posted by こみー at 23:11Comments(1)

2011年06月20日

ブラックパンサー

南ベトナムレンジャー部隊は1951年に対ゲリラコマンド部隊として
アメリカCIAがニァ・チャンにレンジャースクールを作ったがフランスが
拒否しため1956年からアメリカ主体でレンジャースクールが始動した

しかし当初レンジャー部隊は治安維持部隊として運用されていたが
戦争が本格化するにつれ従来の対ゲリラ部隊として米軍軍事顧問のもと
活躍するようになった

今回は1965年ころの南べ第44レンジャー大隊の隊員です
やはり一番の特徴はM1ヘルメットに大きく描かれた黒豹です
これはレンジャーのトレードマークで直接ヘルメットにペイント
された物がほとんどでこの時期の44大隊は黄色と黒色での虎模様の
上に黒豹が描かれております

着ている作業服は南ベトナム軍独自の物で肩にあるステッチとズボンの
ひざのステッチが特徴ですM59型と呼ばれていたりします
装備は米軍のお古が中心で一部フランス軍の物もまじってましたが
銃は米軍のトンプソンで彼らは取り回しやすくする為にストックを
はずして使っておりました腰のマグパウチはローカルメイドの粗末な作りの
自軍のものです

右胸に付いているナイフがクロスしている金属章はレンジャー隊員の証で
レンジャースクールを卒業するともらえる

ネームテープは年代によって部隊カラーをネームテープに使う
レンジャーは赤なので赤いテープを使っていますそれと同じで
赤いスカーフをしております左腕には部隊パッチその下には伍長の
階級章が縫い付けられています階級章は左片腕だけに付けます


  

Posted by こみー at 00:45Comments(0)

2011年06月11日

山で戦うで

今回は第10山岳師団です最近のイメージは
緊急展開部隊で第一線を戦う歩兵部隊ですが
第二次大戦では山岳戦闘専門でスキー技術も習得しており
冬山戦闘の技術も持った文字通りの山岳戦闘部隊でした

二次大戦では1944年ころからイタリア戦線で活躍しました
実際現場では山岳装備の一部と一般歩兵の装備を組み合わせて
使用されているのが普通だったようですイラストはその一例です
ジャケットはタンカースジャケットとよばれる戦車兵の被服だが
一般歩兵も防寒着として使用していたパンツは山岳部隊専用の
マウンテン・パンツと呼ばれる左右の腿に大きいカーゴポケットが
2つありその上にはジッパー式のサイドポッケがある

足元はM1944シューパック12インチの革製レギンスにゴム製の
靴底がついた防水性の靴で雨や雪や泥に適したコンバットシューズ
しかし通気性が悪く足が蒸れその汗で逆に温度を奪われ足が冷たくなる
という欠点があった

肩から掛けているのがトンプソンのマガジンバッグでこれに
M3グリースガンのマガジンを入れて使ってます当時マガジンポーチは
全部隊に行渡らなかったようで各自で工夫していたようです


  

Posted by こみー at 04:19Comments(2)

2011年06月09日

生まれたてのころのグリーンベレー

1952年に陸軍に特殊部隊が誕生した第二次大戦中の第一特殊作戦部隊の流れを組む
特殊部隊だった1953年に第10特殊部隊が西ドイツに派遣されあと本土において
第77特殊部隊グループ(空挺)が編成された

この部隊はグリーンベレーをかぶっていたことからグリーンベレーと呼ばれるように
なったが現在のベレーとは少し仕様が違う当時は隊員達が非公式に被っていたので
形や潰し方が現在と異なるベレーフラッシュも当時存在せず隊員は77特殊部隊グループの
オーバルに金属の空挺章を付けたものをベレーに付けていた部隊パッチも第二次大戦中の
エアボーンコマンドのパッチを使っていたこれが初期グリーンベレーの特徴である

1956年から現在の部隊パッチにトレードマークであるグリーンベレーが正式に
採用されたのである



  

Posted by こみー at 01:44Comments(3)

2011年06月06日

1980年の海兵隊

1970年代後半からベトナム戦争後半から登場したナイロン装備の発展型の
アリス装備に代わっていきコットン製の装備からナイロン製装備に完全に変わった
1983年からパスジット装備が配備されるまでこのスタイルが海兵の標準装備となった

  

Posted by こみー at 23:13Comments(0)

2011年06月04日

テト攻勢以降の海兵たち

長引く戦争の中で海兵たちにも変化が現れてきた
風紀が乱れ始め陸軍のようなだらしない兵隊が増え始めた
しかし装備だけは確実に変わってきている

陸軍がレンジャー部隊に優先して支給していた迷彩被服を
海兵たちはいちはやく一般歩兵にまで支給されつつあった
ということで戦争も後半に差し掛かった1969年の海兵装備です

  

Posted by こみー at 20:25Comments(0)

2011年06月04日

1965年の海兵隊

1965年3月8日早朝ダナンに上陸した
待ち構えていたのは敵ではなく花輪を持った女学生さんたちだった
ということで今回はM14小銃を装備したナム戦初期海兵装備ですっ
実際上陸時の装備はボディアーマーと背嚢を背負ったフル装備でした

  

Posted by こみー at 02:53Comments(0)

2011年05月31日

朝鮮戦争が終わってベトナム戦争が始まる前の海兵隊

朝鮮戦争が終わってから海兵は今まで使ってきた二次大戦中のHTB作業服に
代わって新しくデザインされたものに変わった装備に関しては依然大戦中と
かわりなく多少の色味の違いなどはあったがそのまま使われた

しかしベトナム戦争が本格化する1965年にはもうこの被服は使われなくなった
採用されてから短期間で陸軍のコットン作業服に変更されていきごく一部の兵士のみ
着用されるだけとなった



今回から後ろのイラストがありませんごめんなさい
いつか完全版を作れるよう努力します  

Posted by こみー at 17:50Comments(1)

2011年05月31日

朝鮮戦争の海兵隊

朝鮮戦争後半兵士たちの士気を上げるために頼もしいアイテムが登場した
それはボディアーマーこの戦争が一般歩兵によるボディアーマー装着の
初めての戦争になった海兵はこれを最初に現在までアーマーを装着することになる


  

Posted by こみー at 00:22Comments(2)

2011年05月29日

海兵落下傘部隊

海兵隊にもパラマリーンと呼ばれている落下傘部隊があった
陸軍の落下傘部隊を意識して作られたたがそのスタイルは
陸軍のものと違っていた海兵の落下傘兵はドイツや英軍の
落下傘部隊を参考に研究されたため初期のスタイルは
それによく似ていた降下スモックタイプを着用している
今回はその海兵落下傘部隊【パラマリーン】の装備紹介です





  

Posted by こみー at 03:14Comments(2)

2011年05月28日

海外ドラマのパシフイックを見て

パシフィックの一話のガダルカナル島の戦いのところの海兵の装備が
よかったのでちょっと描いてみましたっ初期の海兵装備がとてもよく再現されていて
興味深かったですヘルメットライナーが初期の紙ライナーのぶっとい縁がエエっ
早くソフトにならんかなーっ

  

Posted by こみー at 04:18Comments(2)